虹の戦士と共に! 

気候危機に立ち向かう! ~連帯の輪を広げよう~

私たち環境活動を行うものにとって、すでに地球という惑星の限界を超えつつある危機的な気候変動に対して、一人の力では、とても太刀打ち出来る問題ではない事は、解っています。
様々な分野で活躍する人たちや市民グループ、団体、NGO等と整合性を求め合い、連帯することは、大変重要であり、活動する上での大きな喜びでもあるのです。   

虹の戦士と共に! 国際環境NGO・グリーンピース・ジャパン 

海はゴミ箱じゃねえ!
日本政府は東京電力福島第一原発の放射能汚染水100万トンを超える放射能汚染水を海に放出するという決定をし、それに対し国内での圧倒的多数の反対の声に限らず国際社会からも強い非難の声が上がっています。

汚染水の放出は環境と人権にとって重大なリスクをもたらすだけでなく、これまでの意思決定プロセスへの住民関与が全くないまま進められてきているのです。
つまり、この決定を行った現政権に関して2つはっきりしたことがあるのです

ひとつは、何より国民の声を全く聞かない!
そして科学者の声を聞かず、金で黙らせようとする科学への冒涜!

プラスチック汚染や温暖化による海水温の上昇、酸性化など、海はすでにさまざまな問題に直面し、追いつめられ限界に近い、これ以上海を汚さないで欲しい!
私達は声を上げたのです「海はゴミ箱じゃねえ!」と。

自宅を訪れた核の専門家

この問題は震災後の復興に向けて頑張ってきた地元漁民の努力を踏みにじるような暴挙であることは当然ですが、地元漁民への被害という枠にとらわれてはならないというのが私自身の強い思いでもありました。
何か良い抗議行動はないものか?と考えていたところ、YouTubeを使った署名運動の案が、グリーンピース・ジャパンの友人から送られてきたのでした。

その時、わざわざ葉山の自宅にやって来たのは グリーンピース・ドイツの核問題の専門家であるショーン・バーニー氏、彼は1990年から核問題に取り組んでいて、東アジア地域の核政策、特に核燃料サイクル問題や原子力発電所の安全性問題についてのスペシャリストです。

この問題に関して、数時間かけて意見交換を行い十分に納得し署名を求めるための動画撮影に及んだのです。もちろんただ反対するだけでなく科学的且つ倫理的な対案を持ってのぞみ、提言内容に合意し連帯して声明を出したのは言うまでもありません。

その時私はバーニー氏から二つの興味深い話を聞きました。
一つは、東京電力福島第一原発事故発生当時、冷却プールが干上がって使用済み核燃料が外に出たら…という最悪の事故シナリオが作られたことにまつわる話でした。
あの時、半径30km程度の範囲に避難指示が出されるにとどまりましたが、最悪のシナリオでは避難対象は半径250km。そのシナリオ通りだとしたら首都圏の数千万の人が避難しなくてはならなかったのですが、なぜそうならずに済んだのか?
それは、震災が起きる前から今日までの脱原発運動の歴史にも大いに関係しているという内容でした。

2012年撮影 双葉町

核燃料を燃やすとできる"プルトニウム"この使用済み核燃料から更に燃料を作る再利用のためにウラン燃料を混ぜて作る「MOX燃料」。
このプルトニウムを1991年当時フランスから日本までの船による運搬や、後のMOX燃料の国内での運搬や使用にも反対してきたのはグリーンピースと世界各国の運搬航路周辺諸国、そして日本の脱原発の市民団体などです。
これらの活動がなかったら、あの震災の際に水素爆発を起こした福島第一3号機には核燃料プールにプルトニウム燃料が入っていたでしょう。
もし、そうであったなら今頃は首都圏でも私達は住む家を追われるように避難していなければならなかった可能性がありますし、そのまま4号機にも使われていたら、更なる惨事になったと考えられています。
2013年撮影 浪江町

グリーンピースの船「レインボー・ウォ―リア号」(虹の戦士号)(※1)が、1999年当時福島県沿岸でプルトニウム輸送に抗議する映像が、ニュースで流れていました。
その報道はまるで過激な行動のような報道だったことを憶えています。
しかし真実は違いました。
彼らの勇気ある行動がむしろあの原発事故による被害をさらに最悪な事態になることをとどめたといっても良いのです。
このような経過を知る人は、日本において決して多いとは言えません。
そもそもグリーンピースがどのような活動をしているのかさえ知らない人が多いのではないかと思います。
もう一つの話は正にそれを象徴するような話だったのです。

鎖国が続く?日本
核問題の専門家として世界を駆けまわるバーニー氏が先ず日本とその他の国との大きな違いの一例として入国時の入国管理官の対応の違いについての話をしてくれました。
日本以外のどの国に行ってもパスポートを提示する際に明かす職業「グリーンピースの仕事でやって来た」と言うと、どの国の管理官も歓迎してくれる、中には握手を求め「君たちはヒーローだ!ありがとう」とお礼を言われるほど。
それほどグリーンピースの活動がどれだけ国際平和と環境保護のために活動しているか?という事が国際社会では良く知られているのです。

ところが日本だけは入国の際にグリーンピースのメンバーだとわかると必ず別室に連れて行かれ、荷物の検査から、何時間も意味のない質問をされるとのこと。
おそらく担当の入国管理官もよくわからずそのようなことをしているのではないか?と想像されるのですが、全くお恥ずかしい限りで、未だ日本は「鎖国」をしている国の様でもあります。

何よりこの話は日本が環境問題をはじめ、エネルギー、ジェンダー、SDGsへの取り組みなどが諸外国に比べ大幅に遅れている事の象徴のように思えるのです。

RAINBOW WARRIOR at exclusion zone around French nuclear testing site of Moruroa in the Pacific.

多くの日本人は「捕鯨に反対する過激な団体」というような間違ったイメージや、「シー・0000000」のような抗議の為なら暴力的行為も厭わないという団体と混同し、断片的な記憶でしかないのだろうと思われます。(グリーンピースは徹底した非暴力思想)

その要因として、日本では環境NGOが社会から十分な認知を得ていない現実「自分とは関係ない極端な主張の人たち」だと思われている現状があるのです。
そのような人たちと所謂「環境問題に無関心な層」とは一致するように思うのですが、意外にも「環境に良いことしたい、プラスチック減らしたい」とエコストアパパラギに来る人や私の主宰するセミナーに参加している人の中にも「グリーンピース? えっ?」という人もいて、国内での環境運動の裾野の広がりは、まだまだ「鎖国状態」のように感じているのですが、読者の皆さんはいかがでしょうか?

おそらく「声を上げ続ける行動や抗議行動」を「何でも反対する人たち」としか見れない、または「過激な人たち」と傍観する、こういう人たちは未だ少なくないと思われます。
それは、"同調する事で何となく安心でいられると"いう錯覚を持つ日本人が多いことと、無関係ではないのではないかと思います。
"日本人よ目を覚ませ!"と喝破したい気持ちを抑えつつ、バーニー氏が日本へ入国する度に体験する世界との差を、冷静に考えてみる必要があるという事を知っていただきたいと思うのです。そのことが「環境鎖国」開国への道ではないでしょうか?

グリーンピースとの出会い
遥か昔(?)高校1年になった頃に大好きだったミュージシャン、ジェームス・テイラーやジョニー・ミッチェルらが呼び掛けて実現したコンサート、これが米国の核実験に反対する平和団体グリーンピース誕生のきっかけと聞きます。
当時グリーンピースに対してと特定の印象や接点があったわけではありませんが、
あの当時、映画「ウッドストック」やベトナム反戦運動、キング牧師や、
ローザ・パーク、PPMやピート・シガー、ボブ・ディランらと同じように
社会変革の大きな動きの中の歯車の一つだという印象を持っていたことは
間違いありません。

中でも最も強烈な印象だったのは、1954年米国がビキニ環礁で行った水爆"ブラボー"による実験で被ばくしたロンゲラップ島の島民の救出に伴う一連の英雄的行動を知った事です。

ロンゲラップ島の島民は被爆した年から約30年経過した85年までの間、直接の被ばく被害に加え、島中汚染された強い残留放射能による健康被害に苦しんでいましたが、当事者の米国は人体実験ともいえる状態で放置したままだったのです。(後日、人体実験同様の実態は、公文書などで明らかになっている。)

汚染された島を脱出する事に米国政府は同意せず、そのまま医学的観察を続けるつもりだったのですが、当時の村長らが秘密裏にグリーンピースに助けを求めていたのです。
そして、1985年5月20日島の人達は小学校や役場、家屋等を解体し、救出に来た"レインボーウォーリア号"に積み込んで、全島民325人が島を脱出したのです。

ふるさとの島に船上から手を振る島の子供達
この時世界各国からのジャーナリストも、一緒に船に乗り込んだ。(写真は、私の写真の師匠でもあり、マーシャルの被ばく者達への支援活動を共に行っている島田興生氏撮影)

船は4回に分けて、島民全員の脱出から新天地への移転までの援助を行い、その後フランス政府が核実験を行っていたタヒチ・モルロア環礁に向けて航海を続けたのだが、途中寄港したニュージーランドのオークランド港にて、フランスの秘密工作員によって爆破され沈没、一人が死亡するという世界を震撼させるような事件が起きました。(後日フランス政府は、正式にこれを認め謝罪しました。)

その時の船長、ピーター・ウイルコックス氏とレインボーウォーリア号(3世)が2016年福島沖の放射能調査のために日本にやって来ました。
そして、その時私と同行したフォトジャーナリスト島田興生氏と30年ぶりに再会しました。
私はピーター船長にどうしても直接確認してみたい話がありました。
それは、ロンゲラップ島に救助に行った際のこと、ピーター船長は当時の島の村長ジョン・アンジャインに、「さあ、迎えに来たぞ、何人乗るんだ?」と聞きました。

当初船長は、世界中からのジャーナリストを前に国際社会へ向けてのせいぜい数名を乗せてのアピール行動だと思っていたという事でした。
ところが村長は「325人全員だ!」と答えたと言うのです。
その時のことを船長はある取材でこう語っていました。
「村長が全員だ、と答えた時の真剣な表情から、彼らは相当な決意でこのふるさとの島からの脱出を決意したのだと感じた」ということだったのです。
そして、この時のことは、30年経った今でも、はっきり覚えているとのことでした。
1985年5月被ばくしたロンゲラップ島民が島を去る日  島田興生 写真

グリーンピース・ジャパン アンバサダーに
グリーンピースと関わるようになると面白いように日本の環境意識に関する状況が見えてきます。
無関心層の「クジラの団体」程度のイメージの人から、"過激派"と思い込んでいる人たちまで様々、反面、国連のNGOに対して与えられる最も高い地位の一つである「総合協議資格」を有したNGOであるという事など、どれだけの人が知っているだろうか?これは日本特有と言っても良いのかもしれません。
EU諸国の環境意識・教育・国の政策等の全てにおいて、30年は遅れているといわれる日本、言い換えれば大学生が行っている活動を幼稚園児が理解できないのと同じようなことなのかもしれません。

そんなことを考えていた時にちょうどアンバサダーの話があり、私なりの思いもあり承諾しました。
その時の声明文に、こう書きました。---------------------------

私は、これまで目撃してきたことが、グリーンピースの活動や発信する情報等に、深い整合性があるということに気が付いていました。
そして今、改めて共感し、連帯する理由が明確になっているのです。
それは、
・何より「現場の目撃者となる」ということを重要な活動指針としている事
・活動の全てが科学的調査に基づいているという事実
・国際専門家チームによって構成されている、いわばプロの集団であるという事実
・国連の「総合協議資格」を有したNGOであり、調査に基づいた数々の提言や活動が包括的な地球環境を守る行動として成果を上げ続けているという事実
そして、活動や主張を制限されるようなことになりかねない特定の企業からの献金や助成金を受け取らないという運営姿勢にぶれがないことです

この度、私をアンバサダーとして迎えていただくということを大変名誉に思います。
また、65歳の私とグリーンピースが行動し続けることも大変意義のあることと思います。
何故なら、私の様な年代の少なくない人達の中には、グリーンピースのこれまでの輝かしい活動に興味を持つ事が出来ず、間違った情報や非科学的な思考に支配されている様子が見受けられるからです。
そのことをやみくもに批判することは良策ではありません。
それは個人の問題以前に「教育や環境がそうなっていなかった」と言えるからです。
だからといって次世代へのツケを残したまま「逃げ切り世代」として何もせず残りの人生を送ってよいはずがありません。
命果てるまで「志」を持ち続け、行動することに年齢は関係ありません。
子や孫たちのために世代間を乗り越える連帯が今必要なのです。
その連帯が個人の力を乗り越え、気候危機に立ち向かい、パリ協定の目標値実現への道筋を作りパラダイムシフト(社会の大転換)を引き起こす原動力になり得ると信じています。(グリーンピース・ジャパンHPより抜粋)

虹の戦士
アンバサダーになってから色々と面白いことが起きていて、私はそれをむしろ楽しんでいます。
"武本さん、グリーンピースなんですか?"と驚いたような人、これはそんなに害にはならない(笑)
"どうりで、前から過激だと思っていた"と、これはあまりにも失礼だ…。
しかし圧倒的に新しい人たちとの出会いが最高の収穫であり、希望の証なのです。
グリーンピース・ジャパンとの最初の協働ともいえる鎌倉のあるカフェでの講演会、ビーチクリーンを終えた後での彼らの海への興味と熱意を感じる素晴らしい出会いでもありました。

著名人が同じように支援を表明しているのもうれしいことであり、中でも学生の頃夢中で読んでいた"スイングジャーナル"誌に評論を書いていて大ファンだった湯川れい子さんや坂本龍一さんも同じグリーンピース・ジャパンのHP内で登場しています。

多くのアーティスト達と志を同じにすることが平和や環境運動をする上でいかに重要か、海棲哺乳類をはじめウミガメの絶滅に拍車をかけている「混獲」こんかく(※2)を訴える廃棄された漁網を使った創作バレエの映像は圧巻で、深く心に残りました。身近なのに誰も知らない「混獲」ってなに? (act-greenpeace.jp)
「海はゴミ箱じゃねえ!」のキャンペーンは何と数か月で約41,000筆もの署名が集まりました。
正に海を守りたいという多くの人々の願いの結集であり希望だと思います。

改めてあの日、葉山の自宅を訪れたバーニー氏のことを思い出す。
実は数時間に及ぶ話し合いと動画撮影などを終えた後、彼は誰もいない秋の葉山の海で泳ぎ出したのだ…。
しかも約一時間もの間…。

海から上がった後、こんな話になりました。「自分は世界中から核がなくなることを信じて人生の全てをかけている。自分自身も放射能を浴びている危険は覚悟の上だ。だからこうやって時々、素晴らしい自然や海でそれを洗い流しているのだ」と…。
アメリカインデイアンの思想を本にした「虹の戦士」(Return of the Indian Spirit in “Warriors of the Rainbow")にこんな一説がある。

「いまに、地球は病み、海は黒ずみ、川の水は毒となり、
 動物たちも植物も姿を消しはじめるとき、
 まさにそのとき、人々を救うために世界中から虹の戦士が現れる」…と

今ふと思うのです。
あの日我が家に現れた彼こそは「虹の戦士」だったのかもしれない…と。

文責 武本匡弘

(※1) 虹の戦士号は同じ年(1993年)ロシア海軍が日本海で放射性廃棄物を投棄していた現場を押さえ、全世界へ発信しました、その後海洋汚染防止のための「ロンドン条約」に関しての科学者会議や締結国会議にオブザーバーとして参加しています。
(※2) 「混獲」(こんかく)はえ縄漁などの漁業網で毎年数十万と言われる海鳥や海洋生物が犠牲になっている。グリーンピース・ジャパンの呼びかけで、ファッション、映像、ダンサー等の著名なアーティストたちが終結して創作表現した「混獲―Bycatch」は素晴らしい作品です。
(グリーンピース・ジャパンのHP で見る事が出来ます。)
身近なのに誰も知らない「混獲」ってなに? (act-greenpeace.jp)

表参道にあるカフェにてサポーターの皆さんとの楽しい学習会の様子「気候危機・気候正義」19年

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